谷中中校長室だより

地域・保護者の皆さんにいっそう信頼される学校を目指し、よりタイムリーに学校の様子をお知らせします。

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旧東海道―品川宿 散歩

先週末の土曜日は久しぶりによい天気でした。週末カメラマンの私は、前々から行きたいと思っていた、旧東海道を散歩することにしました。

目指したのは、品川です。今でも江戸時代と同じ道幅の街道と商店街が残っているのだそうです。

91 品川橋
目黒川にかかる品川橋


江戸の古地図(切り絵図)で見ますと、旧東海道は海の縁(へり)にのびていて、道路脇の民家のすぐ後ろが海でした。

今は埋め立てが進んで、海岸線はずいぶん遠くにありますが、近くを流れる目黒川には海の潮が流れ込んでくるのだそうです。

89 本陣跡
大名たちの宿舎・本陣跡


品川宿には江戸時代に建った寺が数多く残っています。海晏(かいあん)寺、海蔵寺、海雲寺、心海寺、海徳寺、東海寺など、海にちなんだ名の寺が多いのは、門前まで波の音が聞こえたからだろうと思われます。

81 ハクモクレン
海雲寺のハクモクレン


93 海晏寺のカンヒザクラ
海晏寺のカンヒザクラ


品川宿を散歩するときは、私はぜひ東海寺に行きたいと思っていました。江戸の切り絵図で見ますと寺域がかなり広い寺です。

84 沢庵墓案内
東海寺開山澤庵禅師墓道


この寺は私の故郷・兵庫県但馬地方出身の沢庵和尚が江戸時代の初期に住んだ寺でした。

沢庵和尚は、書画、俳句、茶の湯、剣術に優れていたという伝説の禅僧です。「タクアン漬け」の考案者として知られています。

しかし、もともと但馬の出身で、京都・大徳寺の住職であった沢庵が、なぜ出羽の国に追放処分になったのか?なぜ第三代将軍家光の後ろ盾を得て、3年後江戸に戻され、品川の東海寺に開祖として住むことになったのか?

私にとって、まだ謎が多いのですが、沢庵についてはおいおい歴史の真相をたずねてみようと思っています。

そのうち空が曇ってきました。

83 沢庵墓
沢庵墓  「墓碑は建ててはならぬ」と遺言していたそうだ


小高い場所にある沢庵和尚の墓には海側からの風が吹いていました。

沢庵和尚はこの見晴らしのよい場所で、東海道を駆け抜けた歴史の群像たち(幕末の新撰組や、水戸の天狗党の浪士たち)の激しい生き様を、静かに見つめてきたのだろうと思いました。









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浅草の桜

浅草の桜と言えば、隅田川に沿って、吾妻橋、言問橋、桜橋へと歩く、隅田公園の桜がきれいです。

しかし、今回は少し違った角度から浅草の桜を見ました。

まずは小さな神社の桜。朝夕近所の善男善女がお参りしている八幡神社の桜です。小さい神社ですが、桜はりっぱでした。

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八幡神社の桜


次は、伝法院通りの桜。以前に地口行灯(じぐちあんどん)を紹介したことがある、粋な通りです。

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大かめもちだ


今回気がついたのは、地口行灯とお店との関係です。大黒屋という天丼のお店(有名店なのか行列していました)の真上の行灯は、大黒様を主題にしていました。

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伝法院通り



恵比寿
えびすだいこくう 



それぞれのお店がなぜその地口行灯を選んだのかは、興味をひかれるところです。


s4 
伝法院の桜


そういえば、足立区立花畑北中学校の生徒たちが、地口行灯のことを調べたり、実際に製作したりした研究が、生徒の研究雑誌に掲載されていました。

地口行灯は生徒たちにとっても面白いテーマなのでしょうね。



3月10日 東京都平和の日

3月10日は「東京都平和の日」です。

この日は太平洋戦争の末期、1945年に東京大空襲があった日で、大勢の人が死んだことを悼み、記念日として、平和への決意を新たにする日であります。

終戦の年の3月10日の未明、米軍のB29爆撃機300機以上が現在の墨田区、江東区など東京の下町を中心に焼夷(しょうい)弾を大量に投下し爆撃しました。約10万人が亡くなり、約27万戸が焼失、40平方キロメートルが焦土と化したとされています。

詳しくは、こちらを参照してください。

今日は東京都慰霊堂で祭礼が行われます。


(オンマウスで別画像)  №1 東京都慰霊堂   №2 慰霊堂の内部  写真はflicker より転載

私は、教員になりたての頃、墨田区の慰霊堂のすぐ近くの学校に勤務していました。

ある日、夜遅くまで職員室で残業をしていると、校庭の方から、うううっ、うわわっ、ううー、という苦悶の声が、まるで地底から響いてくるように聞こえてきました。

その時まで、私は東京大空襲のことを詳しくは知りませんでしたし、自分の勤務校の位置が、以前は陸軍の被服廠(ひふくしょう)のあった場所だとは知りませんでした。ましてや、校庭に沢山の遺体が置かれていたことなど、全然知りませんでした。(後で、先輩の教員からそのことを聞きました。)

その夜、風の音に混じって、確かに、苦痛の声、助けを求めるような声が聞こえてきたのです。

ちょうどその日は3月10日だった、と言えばお話ができすぎですが、実際は3月7日の夜のことでした。

3月7日は、現在は「花粉症の日」とされているようですが、私にとっては「みんなー、みんなー」と死者が地の底から、3月10日のことを思い出すように、注意を呼びかける日のように思えます。





3月4日 足立の春の花

昨日午後、所用で足立区役所に出かけました。

アポイントの時間に少し早めに着いたので、時間調整をする間、
区役所1階ロビーの展示物を見学しました。


(オンマウスで別画像)  №1 チューリップ   №2 チューリップ2

ちょうど「足立の春の花」展が開かれていました。区内の花卉(かき)生産農家が技術向上、品質向上のために、毎年この時期に品評会を開催しているのだそうです。

花を見ているとき、ちょうど知り合いの区役所の職員と顔を合わせ、立ち話をしました。


(オンマウスで別画像)   №1 アリッサム   №2 ストック

その方の話では、朝早く花を搬入して展示したのだけれど、室内の温度が高いため花が開き過ぎてしまい、やや困っているとのことでした。


(オンマウスで別画像)  №1 ボケ(白)   №2 ボケ(赤)


(オンマウスで別画像)  №1 キンセンカ   №2 花桃

足立区には、花の生産農家が多いのだそうです。特にチューリップの生産は伝統があり、足立区の区花はチューリップと決められたのだそうです。

ちょうどカメラを持参していたので、写真を撮りました。

夢中で撮影していたら、アポの時間に遅れそうになり、役所の廊下を走ってしまいました。



2月27日 浅草の地口行灯(じぐちあんどん)

昨日の午後、中学校長会の研究発表会がありました。

私は学力向上研究委員会のメンバーでした。発表が無事に終わったあと、打ち上げを浅草でやるということになり、浅草に向かいました。

私は集合場所に少し早めに着いてしまったので、時間つぶしに浅草の六区近辺をブラブラと散歩することにしました。

浅草演芸ホールの前を通りました。ちょうど夜の部の落語や漫才で、場内は沸いていることでしょう。


(オンマウスで別画像)  №1 浅草演芸ホール
  №2 人力車の車夫が演芸ホールの説明をしている


さらにブラブラ浅草寺方面に進み、伝法院通りに出ました。

そこで私は、あっと驚いたのです。

なんと伝法院通りの各店の軒先(のきさき)には、あの地口行灯 (じぐちあんどん)が飾ってあるではありませんか!今まで何度も来たことがあるのに、気がつきませんでした。

(オンマウスで別画像)  №1 伝法院通りの店の軒先
  №2 おかめはちもく→おかめはちまき


地口行灯は、これまで博物館の展示で見たことがありましたが、実際に町なかで見るのは初めてだったので、感激しました。さすがは江戸の文化を今に伝える浅草だと思いました。


(オンマウスで別画像)  №1 飛んで湯に入る夏の武士
  №2  大かぶこ小かぶ 山から小僧がぬいてきた


あまり時間がなかったので、大急ぎで何枚かの写真を撮りました。

行灯に書かれた地口(駄洒落や、ことわざのパロディなど)は、足立区郷土博物館で見た作品よりも、短く、楽しめるものが多いように思いました。

浅草の地口行灯は町の雰囲気によく馴染んでいました。

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谷中中学校とは?

 本庄文男

Author: 本庄文男
東京都の北端に足立区があり、区の東部に谷中(やなか)中学校があります。
学校の自由選択制度のもと、一時は生徒数が激減しましたが、先生たちの頑張りと保護者や地域の人々の応援を得て、ひと学年のクラス数が、2→3→4と年々増加し、徐々に生徒が戻ってきました。このブログでは、そんな谷中中学校の日々の顛末(てんまつ)を記します。
なお、 谷中中学校HP も併せてご覧ください。

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